パパ活での最上級な遊び方「がち疑似恋愛」
「疑似恋愛」をがちに
でも「がち恋」とは違う「がち疑似恋愛」
「パパ活」との相違とその「遊び方」
がち疑似恋愛をすれば人生が変わる
「やれればいい」のか?
交際クラブに入ったばかりは、自分がなにをしたいのか分からなかった。
「やれる女性」という観点でオファーしてみたり「精神面重視の女性」として選んでみてそれぞれとデートしていくなかで、少しずつ少しずつ分かっていった。
「俺は、やれる女性」とやっても、まったく萌えない、ということ。
でも「知的で、会社の部下としては優秀な女性」であったとしても、女性として俺が「抱きしめたい」「この子と溶けあいたい」と思える女性はまったく別で、その対象者は極めて希少である」ということがやっと分かった。
だから、順序としては、
①「抱きしめたい」「応援したい」「一緒に時間と空間を共有したい」と思える女性であること。
そのうえで、
②カラダも求め合える女性であること。
この二つが両方ともに大切で、そのうえでこの順序が重要。
「がち疑似恋愛」で「遊び」を超えたSEXを
だから、「やれる」だけではない。
真剣に相手のことを想い、女性のことを応援したい、と思える関係。つまり事実上の恋愛上でのSEXでしか、俺は気持ち良いSEXができない。
でも、「本当の恋愛」「がち恋」はできない、しちゃいけない。妻と別れようとは思っていない。
「遊び」ではない。
おカネでのSEXではまったく気持ち良くなれない。
「遊び」よりもずっと「がち恋」に近い。でも「がち恋」はしちゃいけない。そもそもオヤジに若い女性が「がち恋」してくれるわけもない。
交際クラブ(パパ活)を通じての、「諭吉君を応援につけたオヤジ」と「諸事情を抱えた若い女性」とが双方ともに相手に「自らを明け渡す」ことができるまでに精神的に信頼し合えている関係性のなかでSEXができている関係性。それを、俺は「がち疑似恋愛」と名付けた。
そこで、この原稿では、
1.「がち疑似恋愛」と「フツーのパパ活」との違い
2.「がち疑似恋愛」と「がち恋」との違い
それぞれの論点を整理し、「がち疑似恋愛」とはなにか、探求してみた。
「がち疑似恋愛」と「パパ活」との違い
まず、「がち疑似恋愛」と「フツーのパパ活」との相違
諭吉君しか見ていない女性とはできない「がち疑似」
「がち疑似恋愛」をするためには、交際クラブで活動するのがいい、と思っている。
ここでしか安全ではなく、ここでが一番チャンスがあり、コストパフォーマンスもいい。ただ「交際クラブ」というところは、大多数の男性会員からすると「素人とやれる」ところとしか思ってなく、実際の活動も「パパ活女子」と言われるようなセミプロが多かったりする。
がち疑似恋愛にふさわしい男女の条件
すべての人に「がち疑似恋愛」をお薦めするわけではない。人それぞれ求めているものや望んでいる関係性、必要なものは違う。
自分が男性のなかでも少数派であるのと同様に、がち疑似恋愛に適した女性も少数派。そこで、ここでは「パパ活」、とりわけ交際クラブで活動している男性と女性において、まずそれぞれが「求めているもの」と「提供しようとしているもの」はなにか、という観点で男性と女性を独断と偏見で分類。「がち疑似恋愛」を志向したらいい人、またがち疑似恋愛が成り立つ男女の条件について整理してみた。
男性のニーズと女性へのかかわり方
まずは、男性について、「女性に求めているもの」と「女性に提供しようとしているもの」とでそれぞれ3分類。
1 男性が女性に求めているもの
①身体だけ
②上記①に加え、食事含めた逢っている間の楽しい空間・気分
③上記①②に加え、癒しやくつろぎ感などを感じられる逢っていない時間も含めた「存在」
2 男性が女性に提供しようとしているもの
①おカネ
②上記①に加え、逢っている間の贅沢感(食事等)
③自分の経験・知見。女性を全人格的に応援することによる安心感。
がち疑似恋愛派は当然に両者ともに③となる。「女性に「おカネ」で「カラダ」を交換してもらう」という短時間の「ビジネス」ではなく、全人格的にお付き合いをいただきたい、という以上、こちらも「おカネ」以上のものを提供しようとしないといけないし、「おカネ以上」の「知見」「経験」「やさしさ」を提供できないといけない。それがあって初めて「おカネだけじゃない関係」になれるのだろう。
提供しようとして決意しているものが、おカネしかない人が、女性にだけ「安らぎ」を求めてもムリなのは当然である。
こう書くと難しいというか「頭のいい人」「社会的に成功している人だけ」とかと誤解されるかもしれないが、自分の経験的に判断させてもらうと、現在、多くの女性が「父性」に餓えている。「お父さん的なやさしさ」を必要としている女性が非常に多い。たぶん、この「③女性を全人格的に応援することによる安心感」はそんな難しいものではなく、一言で言えば「お父さん」なのだと思っている(詳細は別原稿にて執筆予定)。
諭吉君しか見ていない女性はできない「がち疑似」
男性同様に、女性についても、女性が男性に「求めているもの、提供しようとしているもの」で3分類してみた。
女性のニーズと男性へのかかわり方
3 女性が男性に求めているもの
①おカネだけ
②上記①に加え、「逢っている間の」贅沢感・愉快感。刺激。
③上記①②に加え、「逢っている時間を超えた」安心感、安定感。一種の「お父さん」的存在。
4 女性が男性に提供しようとしているもの
①楽しい時間、「恋人気分」「癒し」だけ(交際タイプ「A」)
②自分の身体だけ
③上記①と②の両方
「がち疑似恋愛」ができる女性は、上記ともに③ということになる。
「オトナ」なし!?
男性のなかには、ひょっとしたら「カラダは求めない」という男性もいるかもしれない。ただ、男女ともに「全人格的」に「真正面から」向き合わないと「お父さん的信頼感」や「癒し・やすらぎ」を提供することも、受領することもできない。カラダの関係性なしで全人格的に真正面から対峙してくれる関係というのは極めて希少。自分には想像ができない(おじいちゃんならできるのかな? でも、その関係性はおじいちゃんと孫のような一定の距離がある関係性でしょうね)。
おカネだけを求めている女性
カラダを容易に「提供」してくれる女性は、おカネだけを求めている人。こうした女性とは、それはそれなりにエンジョイできるだろう。そして大多数の男性はこうした女性たちとのプレイを楽しみ、それを自慢している。
でも、これでは「素人」という名目の下での「プロ」。「プロ意識を持ったアマチュア?」社会人野球だったら褒められるかもしれないが、俺は交際クラブでこんな女性に出逢いたくない(笑)
でも「やれる」ということを最重視するならこのタイプになるし、多くの男性会員はこういう女性とのプレイを楽しむために交際クラブに入っているとも言える。
「おカネ目的」は当然
「おカネだけ」の女性と「おカネ目的の女性」とでは違う。
生活に困っていておカネ目的だけど、それだけではない女性を見抜けるかどうか。「まともな女性」が交際クラブに登録してくるのには、それなりの事情がある。だから、まともな女性であればあるほど「おカネ目的」である蓋然性は高くなる。その「おカネ目的」を男性として満たしてあげつつ、だからそのことによって「まともな女性」が身体を提供してくれることを甘受しながら、その「まともな女性」との精神的交換・信頼関係にまで発展させていくことを通じて枯れ行く男性としての最後の願いを叶えてもらう、というのが「がち疑似恋愛」の実像だろう。
「がち疑似恋愛」は二人の最終形
こう書くと「女性の弱みにつけ込んで」と思われるだろうし、実際にそうだろう。でも、現実に「まともな女性」がおカネの必要性のためにカラダを売っている現実がある。精神性を犠牲にしながら(女性が精神性を伴わない性行為を行うことは、その女性の精神性に少なくない支障を生ずると思っている)。そうした「まともな女性」の精神性の犠牲を最小にしながら、オトコの心の渇きを満たしてもらいつつ、自らの経験値・知見を余すことなく女性に提供し、サポートし、信頼を得、そのことを通じ、相互が満たされたSEXを実現するところまで二人の関係が成長したのが「がち疑似恋愛」なのだろう。
言うなれば「がち疑似恋愛」は、「パパ活」からスタートした、精神性を尊重したオヤジと若い女性の間の二人の関係性の「ゴール」のかたち。最初から「がち疑似恋愛」はあり得ない、ということでもある。でも、「がち疑似恋愛」状態をめざしていくうえで、最初は「パパ活」からスタートしていく。だから「がち疑似恋愛」状態を意識した「パパ活」は、極めてクリアすべき課題が多い、制約のあるものとなる。逆を言えば、それらの課題を意識しない、無制約的なパパ活は永遠に「がち疑似恋愛」次元には到達しないということでもある。
「パパ活でのSEX」と「がち疑似恋愛でのSEX」の違い
「パパ活」と「がち疑似恋愛」との違いをSEXの観点で考えてみた。
これは分かりやすいだろう。
誰を見てSEXするの?
女性が、
①諭吉を見てSEXする のが、フツーの「パパ活」でのSEX
②俺の顔を見てSEXする のが、疑似恋愛?
ちょっと言い方を変えてみると、
諭吉との距離感
諭吉と俺の顔
どっちが近い?
正常位でSEXしていて、俺の顔を正視してSEXしてくれているのか、女性が俺の顔の前に諭吉君を見ているのか?
これがすべてなんでしょうね。
「がち疑似恋愛」だって、当然経済的支援を前提としたもの。おカネが関与しない「がち恋」とは違う。だから、オヤジは自分の顔だけで勝負しているわけではない。自分の顔だけではお話しにもならない。オヤジの顔の周りには諭吉君の大きな大きな応援があるのは当然の話し。そして、最初は俺の顔の前に諭吉君がいるのかもしれない。でも、いつまでも諭吉君が俺の顔の前に居るのならそれは「パパ活」での関係性だけ。女性は諭吉とSEXをしていることになる。
「がち疑似恋愛」でも、諭吉君が俺の周辺に居るのは間違いない。ただ、どんなんでも俺の顔よりも後ろに諭吉君がいるのが「がち疑似恋愛」の基準だろう。彼女が見る景色として、俺の顔の方が近く、ピントが俺に合っていて諭吉君は後ろでピンボケしている、くらいの関係性でなくては「がち疑似恋愛」とは言わないのだろう。
諭吉君とSEXしている女性では満足できない!
会ってその日にSEXしている男女。多くの男性は「その日」にしてくれる女性を求めているが、会ったその日にSEXする女性の99%は諭吉君とSEXしているのであって、その男性とSEXしているわけじゃないですよね。
女性からすると「私は誰とでもその日に応じているわけじゃないわよ」と言うかもしれないが、それは「諭吉君を5枚もらっても嫌な男性がいる」というだけであって、諭吉君が5人居るなら「あなたとでも我慢する」もしくは「あなたの男性としてのポイントと諭吉5人の合計ポイントは私がカラダを提供する合格ラインを超えています」というだけであって、諭吉君とSEXしていることには違いはない。そしてオヤジたちは、諭吉とSEXしている女性とやったことで満足しているのだろう。
<まとめ> 「がち疑似恋愛」とは ①
- フツーのパパ活‥‥‥おカネとカラダの交換(A)が中心
- がち疑似恋愛‥‥上記(A)に加えて、
「男性としての、年長者としての知見・経験値と安心感」と
「女性としての、やすらぎ、癒し、安心感」を
全人格的に交流すること(B)の両面があって、
後者(B)の比重が前者(A)以上、少なくても(A)同様にまで
重たいウエイトを占めている関係性
と整理することができるだろう。
がち疑似恋愛とは ②
誤解を恐れず、名付け親の俺が仮説を述べるならば、
「がち疑似恋愛」とは、
①「オトナの関係」の成立
「パパ活」としての、「『男性が提供するおカネ』と『女性が提供する自らの身体』との交換」が成立するうえで、
②相互の全人格的な交流・コミットメント
男性が年長者としての「経験値、知見、安心感、父性」等を含めて全人格的に対峙し、それらを提供することで、
③精神性・愛情関係の成立
女性が男性を信頼し、心の通った「本当のSEX」が実現することを通じて、
④SEXを通じた自己の解放・自己の価値の実感
男性も女性もともに解放され、相互を通じて自らの価値を感じることができる
っというところまで「パパ活が昇華した状態」とでも言えるだろうか(笑)
だから最初から④レベルをめざしている以上、②の「全人格を通じた交流」ができる女性しか対象とならず、その存在は極めて希少で、そうした「まともな女性」だからこそ「おカネとカラダの交換」の①が簡単ではない。④を意識した、それが叶えられる女性と①が成立することが難しいところ。
俺が「交際クラブ」という場で、無謀にも求めているのは、この④。でもこの2年弱のなかで、二人の女性と長期にわたりそんなことを実現できている(入会後3か月で一人目の彼女と出逢い、10か月間の「がち疑似恋愛」を実現。終わった後に3か月間彷徨って二人目の「がち疑似彼女」と「本当のSEX」を実現中)。
「がち恋」と「がち疑似恋愛」との違い
俺がしたいのは「節度のある恋愛」。要は、妻とは別れない。一生をともにするのは妻。 でも、「恋」はしたい。しちゃう。
素敵な女性と時間を共有している、その関係を築いていることで毎日が彩られる。
だから、このシチュエーションにおける「恋愛」と「疑似恋愛」の違いは、
<時間軸 生涯スパン>
- 恋愛 「将来」を 見据えている(結婚・生涯のパートナー)
- 疑似恋愛 「将来」は 対象外(考えていない・見ない)
<時間軸 一日スパン>
- 恋愛 生活のすべてが対象(一緒に暮らせる。ずっと一緒)
- 疑似恋愛 生活の 一部に限定(別生活。帰らないといけない)
<責任・限界>
- 恋愛 制限を意識しない「無限恋愛」
- 疑似恋愛 最初から歯止めを意識している「有限恋愛」
というところで決定的な違いがある。
しかし、それらを構成するそのなかの部分(パーツ)は、基本的に一緒。
だから「疑似恋愛」も、その瞬間瞬間においては「愛」と同じ行為であり、同じ空間と考えていい。
ただ、上記の3点で決定的な違いがある。
男性による経済的援助が前提
この場合の「疑似恋愛」には、男性が経済的支援をすることを約束し、女性はその支援を 前提にお付き合いをする、という「契約関係」があることが前提。「男の人に経済力なん て求めない」ならば、それは「がち恋」であり既婚者においては「不倫」。
経済的支援をしていれば「疑似恋愛」???
この場合の疑似恋愛が「経済的支援」を前提としたものと定義するならば、「経済的支援」があるのは恋愛ではない! なんてことはまったくない。世の中では「おカネ持ちと結婚したい」の「夢」を叶えたら「勝ち組」なんて表現される。「世の専業主婦の大半は売春じゃないか」なんていう意見もある。恋愛において男性を選ぶ極めて重要な尺度に「経済力」があり、それが結婚だと誰も文句を言わないだけ。恋愛には「経済力を問わないこともある」という例外があるが、「疑似恋愛」にはその例外がない、ということが違いである。
「不貞」ではあるが、「不倫」ではない
法律の世界では「浮気」は「気持ちが移った」だけ。「不倫」は肉体関係を伴うものだそうだ。
ただ、「がち疑似恋愛」を推奨し、実践している俺の勝手な立場からすれば、「疑似恋愛」は、現家庭を前提としたものであり、妻と人生をともにつくっていくことを踏まえたもの。だから、最後まで「限定的な恋愛」。
おカネを支払う約束(契約)を前提としたものであり、おカネがなければ成り立たないことも事実。だから、あくまでも「愛人」。金銭を伴わずに感情だけでつながっている「恋愛」=「不倫」とは決定的に違う。彼女に「おカネを支払っている」という意味で、妻には申し訳ない気持ちはあり、不誠実という意味での不貞ではあるが、妻との婚姻関係を破棄しようという意図はまったくない、という意味で不倫ではない、と勝手に思っている。世間では通じないことも承知であるが、自分のなかでは確信。
「疑似恋愛」は、「時限的関係」「経済的支援を前提」とした制限的なものであり、「人生のパートナーは妻」という現実と意識は崩れない。
おカネで「買う」ものの違い
こうして見ると、「パパ活」でおカネで買うものと「がち疑似恋愛」でおカネで買うものの違うが見えてくる。
- パパ活で おカネで買うもの 女性の身体
- がち疑似恋愛で おカネで買うもの 時間的制限があること
つまり、
パパ活では、男性が提供するおカネで女性は自らのカラダを提供する
疑似恋愛でも、初期はその段階を踏む
それが相互の精神的関係性が強固になり、お互いにお互いのすべてを求め合う状態になった「がち疑似恋愛」では、女性は「おカネをもらうからSEXをする」のではない。女性もそのオトコを求めている。その時に男性の払うおカネには「俺たちの関係には制限があるんだよ」を了承してもらうためのコストとなる。「俺たちのこの関係性はフィクションであって、永遠を保証できる関係にはなれないんだよ。ゴメンね」の了承をおカネで買う。そして女性は「大好きなオトコ」との将来を夢見ないことの代償としておカネをもらう、というのが「がち疑似恋愛」におけるおカネの意味あいとなる。
「がち疑似恋愛」で生き返る
がち疑似だけが、本当のSEXを妻以外と安全にできる方法(妻とはもう「興奮するSEX」はできないですよね)。
本当のSEXだけなら、純粋に恋すればいい。
ただ、それは難しい。そして極めて危険で代償が大きい。
交際クラブで取り引き可能な「がち疑似恋愛」という手法は、「本当のSEX」に近づく可能性が高く、そして安全性も高い。
俺は享受させていただいている。
がち『疑似恋愛』
「疑似」だけじゃない
意識としては「がち」かも。でも「疑似」の歯止めがしっかりできる人だけが楽しめる。
経済的に余裕があって心が渇いたオトナの男性と経済的に困窮しながらマジメな若い女性がWin=Winになる「リアル」で「ゲーム」。それが「がち疑似恋愛」!
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