50代サラリーマン部長の俺が交際クラブで恋と本当のSEXを実現できた。
人生が変わった。
どう変わったか。
どうして実現したか。
俺の実話を報告します。
50代サラリーマンも恋をしよう!
人生を変えよう!
恋がしたい? SEXがしたい? どっち?両方?
「恋がしたい」「SEXがしたい」
どう思っていたんだろう。どっちが強かったんだろう?
まぁ、どっちが強かったかは分からない。でも確実に両方とも思っていた。漠然と。でも焦がれていた。
そして惚れやすい俺。「いつでも彼女はできる」とさえ思っていた。56歳までは。。。。。
でもあるとき、はたと気づいた。「もう恋はできないのでは」「もう本気のSEXをする相手と出逢うことなく勃たなくなって、人生終わる。。。。。」。
コロナの内省的な期間が教えてくれたのか? でも大きかったのは自分の前髪が薄くなってきたこと。現実を突きつけられた、ってところ?(笑)
性で生がよみがえる
そんなことでデート倶楽部に入会することを突然決意し、それが俺の晩年を変えた。この辺のなりゆきは別原稿に委ねるとして、ここでは
①50代サラリーマンでも「最後の恋」ができた、ということ。
②50代男性が恋をして、日々が変わった、ということ、
について共有させてもらいたい。
だって、多くの同輩が「このまま枯れて」いくのを見ているのは辛い。。。「楽しいことがまだあること」「人生を変えられること」を知ってしまった俺。「もっと元気を出して、もう一度笑顔の、生きる力を味わおうよ」と同輩諸氏に言いたい。でも、酒の席であっても知り合いにも誰にも言えない話し。だからここで共有させてもらう(笑)
俺、ホントに良かった。ほんのちょっとの勇気で蘇った俺の「生」を紹介する。

生と性は不可分
「生」について書く、と宣言しながら、矛盾するような見出し。
でも、これは「生」を考えるうえでの前提でもあった。
「本当のSEX」を久しぶりにしてみて、痛感。「生」と「性」は不可分であること。本当の「性」(SEX)があって「生」が格段に見違えること。自分が経験してみて「戦後文学」の大江健三郎や石原慎太郎がテーマにしていた「性」と「生」みたいなことがものすごく実感された。情けないくらい(笑)
だからここでは「性」が満たされて50代の「生」がどう変わったのか、の観点から書いてみたいと思う。
セピア色の毎日が カラフルに変わる!
「恋をしたい」という願望が満たされたあと、50代サラリーマンがどうなったのか。実はここが、自分がこのブログを立上げて、いくつもの文書を書いているその中心中の中心なのだろう。これを伝えたくこのブログを立ち上げた。
グダグダ書いているのは、同輩諸兄が「この幸せ」をぜひ、死ぬ前に、もう一度、体験して欲しいから。このまま、下を向いて、枯れて欲しくはない。こんな体験ができる。そのためにこんな手法がある、ということを共有したいから、である。
でも、その「この幸せ」をうまく書けない。
「この幸せ」
本当に毎日が変わった。朝の出勤。見える景色が変わった。セピア色だった毎日が、カラフルに、チアフルになる。
内面からの力の漲り
いつも自分の心の中に「想う相手」がいる。
いつも自分のことを「想ってくれているだろう相手」がいる。
いますぐ抱きしめて、舐めたくて、匂いを嗅ぎたいオンナがいる。
いますぐ俺に触れられて、抱きしめられて、俺を受け容れたい女性がいる。
お互いが、そう思っている、と確信できる幸せ。心の充足感。温かさ。
50代後半の枯れかかっていた心と身体に、内面からのパワーが漲ってくることを感じる。そして「これが最後だろう」と想いながら、この「ありえなさ」に心からの感謝が沸いてくる。
最後の「ふり絞り」ができた!
いままでの自分の50年超の人生が肯定されてしまうくらいに感じてしまう満足感。
そして、他の50代サラリーマンの同輩諸兄がまずもって、経験していないこの心の躍動感。
比較するものではないが、正直に言って「優越感」を禁じ得ない。
会社への不満も吹っ飛ぶ(笑)
大学の友だち、会社の同期。「俺より高い給料もらっているヤツもいるだろうけど、人生もっと大切なものがある」くらいに思えてしまう(笑)
言葉にしてしまうと陳腐かもしれないけど、この10か月があったのとなかったのとでは俺の人生は、俺が死ぬときの振り返りは、まったく違ったものとなっただろう。「やることやったな」と思える。そんな最後の「ふり絞り」(笑)ができた。本当に良かった。
50代サラリーマンが交際クラブで恋をして変わったこと
ホントにダサいけど、箇条書きにしておく。
★楽しい
本当に毎日が変わる。楽しくなる。見える景色が変わる。ホントに不思議だよ。
★精力が強くなる
もうまったく元気がない、というか元気を必要とされてなかった俺の息子。1週間に一回くら抜かないと「溜ったな」という感じがあり、自分で処理するだけ。2週間くらい抜かなくてもどうでもなかった俺の「精力」が休火山から活火山に!(笑)
別に仕事中に彼女との卑猥なことを考えているわけではない。なのに元気がある。付き合いはじめて3か月くらいまでの彼女とのSEXが楽しくてしょうがない頃などは、仕事中でもどうかすると半立ち状態が続く。トイレに行ったときなどは、自分でもビックリするくらい半立ちで大きくなっている。同僚とかに見られたらどうしようと思って便器の奥まで前進して暴れん坊の息子を隠したりしたくらいだ。10年間休んでいた分かもしれないが、本当に元気になった。50歳代後半、「まだまだ大丈夫じゃん」とホントにビックリした(笑)
★活力
精力と同義なんでしょうね。仕事も勢いがつく。はかどる。いい仕事ができる。なにごとに対するやる気も違う。心の余裕も違うからかな。自分でも「自分が躍動している」ことが分かる。オトコは可愛いものです。
★心の友
本当のSEXパートナー。つまり「セフレ」ではなく、本当に相手を想い合って、相手を求め合ってのSEXができるパートナー。その相手とは、かりそめだとしても相手のことを想い、相手のことを心配している自分がいる。そして、相手も自分のことを思ってくれていると思える関係性を持てる、ということは、いつも「話しかけたい相手が心の中にいる」ということ。
この存在、大きい。
何を見ても、きれいなものがあれば報告したい相手がいる。
「心の中にいつもいる存在」を持てる。
愛おしい相手。話しかけたい人が心の中にいる。
その時間。
満たされた感。
過去形となったいまでも、その時間を持てたこと。
俺の財産となっている。
★自分の存在感
彼女が若くて、精神的に課題をもっていたことからなおさらだったのかもしれないが、自分の存在が、活動が、相手の役に立てている、と感じることができるってすばらしいこと。
なかなかこの歳になってみると「自分の存在が誰かの役に立っている」と自信を持っていえることが少なくなってくる。昔は「会社に役に立っている」とか強く自負できた時期もあるが、出世競争も見えてきた。子どもも巣立った。部下とも一定の距離を置かないといけない、とかなるとなかなか。
恋をする。相手を想う。愛し合った気持ちのいいSEXをする。相手が自分を求めてくれる。
これらが自分に自分の存在を感じさせてくれる。
自分が生きている。自分が相手の幸せに貢献できている。これほど自分の「いま」を肯定できる状態はないよね。
★自己肯定感と優越感
60歳の定年を前にして、気持ちが高ぶる恋ができている。妻に対する背徳感はあるけど、素晴らしい時間を過ごすことができていることは自分で十分に認識できる。「俺の今までの生き方は間違ってなかった」とさえ思えてくる。
さらに言えば、友人・同僚に対しても「優越感」を感じられる事実。それは過去形となった今でも。「死ぬとき」の満足感につながるような気もしている。
「遊び」じゃなくて「恋」
「生」が見違えるような「恋」の条件
ずいぶんと「生」と「性」という形でSEXのことを重視しているように書いてきた。
ならばSEXができれば生が充実するのか、というと違うと思う。ましてや俺はサラリーマン。お小遣いにも限界があるなかで、カネでオンナを買えれば満足するのか、と言えば絶対に違うだろう。実際に、自分は彼女と「両思い」になるまで、俺の息子は「中折れ」してしまっていた(この辺のことは別原稿「脳が興奮するSEXができていますか!?」で詳しく書いています)。
つまり、オトコにとってやはりSEXは大切。でもそのSEXはやれればいい、というものではなく、心の通い合える女性でなければならないし、ホテルに行く前の食事の時間も楽しめる女性でないと「遊び」の相手であっても「恋」の相手とはならない。
「遊び」はそれはそれで楽しいだろうが、50過ぎるとそんなには楽しくないような気がする。ましてやコストパフォーマンスが合わない。対費用もそうであるし、それ以上に対労力が合わないだろう。
っで簡単なプロ(ソープやヘルス)となるとそれは虚しい、となる。
やはり「遊び」ではなく「恋」。だからそれには、プラトニックな要素が不可欠であるし、同時にプラトニックだけでなく、身も心も溶けあえる瞬間を追求したい。
どうすれば、そんな恋ができる
「恋をしたらどうなったか。それは分かるよ。『遊びじゃなくて恋』、それも分かるよ。問題はどうすればそんな恋ができるかだよ」と同輩諸兄から怒られそうです。
つまり、
・50代サラリーマンでも恋はできる
・もう一度、恋することで人生は見違える
・恋をすればSEXもよみがえる
・「遊び」ではダメ。心が通い合える相手じゃないと
・心が通い合う女性と心が通うSEXで人生が豊かになる
これらの条件を満たすためには、
・相手は素人
・素人と1対1の関係性・信頼関係が必要
っていうことは、言うなれば「ガチな『疑似恋愛』」というところ。
諭吉さんの力を借りながら、自分の後ろに何人かいる諭吉さんも見ながら、それでも自分に恋もどきをしてくれる女性が必要ということになる。
そうすると、それはキャバクラではなく、パパ活ということだ。
交際クラブ ⇒ がち疑似恋愛 できた!
自分は、安全性を優先し、アプリではなくユニバース倶楽部に登録し、この倶楽部を通じて「ガチ『疑似恋愛』」をすることができた。
「デート倶楽部」に登録したら、「ガチ疑似恋愛ができる」というものではないだろう。
「デート倶楽部」には、入会金も高く「モデル・タレントが多数」という「女の子の質」を売りものにしている倶楽部もたくさんある。「モデルとやれる」となると俺も「カネがあれば」とか思ってしまうが、実はそういうところは見かけはいいけど「セミプロ」「パパ活のプロ」が多数ということで、「恋」がしたい俺たち?からするとまったくの対象とならない。「玉石混交」で「レベルが高い」とか言われていない倶楽部の方が俺的にはいい。
同時に、俺がエンジョイさせてもらっているユニバース倶楽部のなかでも、俺のこの観点の目に叶う女性は本当に少ない。だから毎日が真剣勝負。そして活動3カ月、7人目の女性でやっと出逢えた。二人目の彼女もやはり3か月。デート7人目だった。そんなものだろうと思う。
自分で自分の「生」を輝かす!
それでも、俺のニーズ=「恋したい」を満たす場所はここで諭吉君の力を借りながら、女性と遊びではなく真剣勝負する。ここに可能性があったし、これからもあると感じている。「遊び」だけじゃない「恋」。50代の間はまだまだ追求していく! だって、「恋をしているとき」「恋を探して彷徨っているとき」このどちらも俺の「生」を輝かしてくれる。今までの退屈な毎日とはまったく違う自分になれるのだから(笑)
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