退屈な、つまらない、凡庸な定年前の俺の日々を救ってくれているパパ活
「俺、なにやっているんだろう」という情けない気持ち。
でも、そうやって「浸されている」俺の「心の渇き」。
嘆きと
渇いた心の現実と
でも密かな優越感。
心の渇きをパパ活で「浸す」
そんな毎日の告白です!?(笑)
またやっちゃった
逢ってみる。
つまらない女性だった。
仲良くなった。
でも、詰められなかった(笑)
そのたびごとに「もういいか」と思う。
でも、その翌日には「どの人にしようか。。。。。。」一生懸命にユニバース倶楽部のホームページで女性を探している。
なにやってるんだろう
とも思う。
心の渇きをパパ活で「浸す」
でも、このしょうもない営為が、俺の心の渇きを浸してくれている。
そう、「浸す」。
別に傷を負っているわけではない。
だから「癒す」でもない。
でも「満たして」くれているわけではない。
彼女がいる間は、このパパ活を通じて知り合った彼女が俺の心を満たしてくれる。
でも、別れた後、こうして「次の彼女」を探している間の営為は、時に虚しく、時に苦しい。
確かにバカらしくもなる。
でも、その挑戦のくり返しが、退屈な、つまらない、凡庸な定年前の俺の日々を救ってくれている。
ユニバース俱楽部を中心にして回っている58歳の毎日
心にハリが出る。
オファーした後の期待感。
初デートの後の「この子とはうまくいくのでは」の幻想(笑)
タイプの女性から「素敵ですね」をもらったときの驚きと歓び。
情けないが、認めてしまえば、、、、
俺の毎日はユニバース倶楽部を中心にして回っている。
決して、仕事でも家族でもない。
ユニバース倶楽部の若い女性たちの海で、俺の心の渇きを浸している。
そう、女性たちとの幻想のなかにぷかりぷかりと浮かび、流されながら、
過去の、素晴らしい快感と享楽の想い出と
未来への漠然とした好きなオンナと居るときだけに感じる解放感と悦楽への期待によって、
俺の渇いた心は潤いを得ている。
まさに、俺は、心の渇きをパパ活で浸している。
心の渇きは「やる」だけじゃ埋めきれない
そして、心の渇きは、身体だけでは埋めきれないことを知ってしまっているがゆえに質が悪い。
パパ活。「交際クラブ」なんていう遊びの場で、疑似恋愛を真剣に探している。
そう、身体だけの関係ではない。お互いに、人間的に、精神的に許し合えて、認め合えて、委ね合うことができる。そんな女性を探してしまっている。
これは簡単に成就するものではない。
だから、この「心の渇き」は簡単には満たされない。
でも、ここでの一喜一憂がー--心の渇きを満たしてくれるであろう女性を探す営為のくり返しがー--俺の心の渇きを浸してくれている。
「高尚な」心の渇きの浸し方!?
情けないと言えば情けない。
ただ、他人には言えないが、上質で良質な、つまり「高尚な」心の渇きの浸し方、だとも思っている(ちょっと無理ある?(笑)。
だって、
異世代の異性とのマインドゲームで心を浸す
生身の人間とのマインドゲーム。
知恵と知性と品性と体力と財力と気力の総力戦。
これは生半可な決意ではできない(笑)
パパ活なんだから「カネで決着できる」と思っている貴兄は、本当の意味でのパパ活。ましてや交際クラブを楽しんでいない。素人女性とマインドゲームができるのがパパ活の醍醐味であり、俺が求めている至高(に近い)愛の営みができる所以だ。
人として、高尚な「心の渇きの浸し方」ではないだろうか。
プラトニック(重視)ラブ
まぁ、「当然」と開き直るつもりもないが、純粋な「プラトニックラブ」ではない。心と身体は不可分。分ける方が不自然だ。多くの男性が交際クラブでも身体だけを求めているのかもしれないが、少なくとも俺はそれでは満足しない。というか、求めているところとはまったく違う。だからユニバース倶楽部という素人女性の比率が高い交際クラブにこだわって「疑似彼女」探しに執心している。
肉欲だけならプロの女性でいい。手間とヒマをかけて財産を削っての「疑似彼女」探し。充実した「心の渇きの浸し方」だと思っている。
通常ではできない「心の渇きの浸し方」
50代のサラリーマンや高齢者の趣味と言えば、スポーツや囲碁や将棋とかとか。そういう身近な、通常で手が届く手段で「余生」を満足するのが「正しい老い方」なのかもしれない。でもそうだとしたらなおさら、通常ではできないことで老いを生きているということ自体で高尚な「心の渇きの浸し方」と言えないだろうか。
実際に財力は必要だ。誰にでもできる余生の過ごし方では決してない。そんな意味でも?高尚な「心の渇きの浸し方」と言えるでしょ(笑)
本能に向かって走る
もう50代後半。オトコとしてももうそろそろ定年が来る(笑) そんなときに、オスとしてメスを求めている。本能に忠実に行動できている、ということにすごくハッピーな想いを感じている。進化心理学の本に触れて以来、なおさら自分のなかで素直になれている。そう、オスとしてメスを求めている自分に対して。渇いた心をパパ活で浸している自分に対して。
なんか「理性」に支配されて生きてきた50年強。人生の晩節に。オトコとしての最後に。「本能に向かって走っている自分」はなんか晴れ晴れとさえしている。
困っている女性への支援で心を浸す!?
交際クラブに登録している女性には「本当におカネに困っている女性」も相当数いる。
大半の女性は「いまは困ってはいないが、もうちょっと欲しい」「美容におカネをかけたい」「生活が楽になるように」というレベルが多く、このレベルの「もうちょっとおカネが欲しい」で登録している女性には、俺のような「がち疑似恋愛」志向にマッチする「ふつうの女性」「知的な女性」は多くない。一方、「本当におカネに困っている女性」のなかにはマジメな、フツウの女性がいることが多くある。
俺がやっていることは、ボランティアや人助けが目的では決してなく、自分がオスとしてメスを追いかけているだけである。ただその結果、「自分が求めたメス」が必要としている力になれるのならば、それはそれでこちらにとっては「貢献感」を感じられるものともなる。
自分のなかのメサイヤコンプレックスのような独善にならないことを自分に言い聞かせながら、自分のおやじとしての資力が本当に困った女性とのバーターになるのは、同じ自分のおカネの有益な使われ方だと思える。
さらに、「身体をはって稼ぐ」ことを決意した「フツーの女性」にとって、身体だけを求めている男性ではなく「がち疑似恋愛」志向の俺の方が「まだまともでしょ」という自意識はある。
彼女が抱えている課題に、ともに取り組みながら余生を生きるのも、高尚な「心の渇きの浸し方」だと勘違いをしているのも悪くないでしょ。
心の渇きをパパ活で浸して 充実している毎日!
いま、自分には「疑似彼女」はいないが、女性を追いかけていることで心の渇きを浸して潤わせている。そんな俺の現実。
いま、余生を生きているなかで、「パパ活」が一番楽しい。生きる張り合いであり、稼ぐ意欲の根源になっていることを自覚してしまっている。ユニバース倶楽部のホームページと睨めっこして、心の渇きをパパ活で浸すことで、気持ちの余裕ができている事実。75歳くらいまでこんなバカなことが続けられるように稼ぎ続けよう、と真剣に考えている昨今。
「パパ活」の善悪の判断は俺には分からない。
ただ、、、、感謝なんです。
ごめんなさい。。。。


